驚きのフェンウェイ・パークのイベント8選

メジャーリーグベースボールの初試合から100周年を迎えるフェンウェイ・パーク。その知られざる歴史から意外な出来事を8つご紹介します。

1. 1914年6月6日:象のパーティー

1914年、ボストンの学校児童たちは、3頭のサーカス象を市の動物園に寄付するためにペニー、ニッケル、ダイムを集めました。そして、そのお披露目の場がフェンウェイ・パークでした。モリー、ワディ、トニーの3頭の象を歓迎するために、小さな子供たちとその親たちが集まり、警察の推定で60,000人もの大群衆が詰めかけました。クラウン、曲芸師、行進バンド、さらにはサファリ装束のセオドア・ルーズベルトの物まねまで登場するイベントは、ボストン・ポスト紙が「アメリカ史上最大の群衆」と報じるほどの盛況でした。

2. 1919年6月29日:アイルランドの独立集会

フェンウェイ・パークの芝生がエメラルドの島となったこの日、アイルランド独立を求める集会に約60,000人が集まりました。アイルランド大統領エイモン・デ・ヴァレラが中心となり、米国の支援を訴える演説を行いました。デ・ヴァレラは、アメリカが小国の自由と独立を支持しないならば、民主主義は死ぬか狂ってしまうと訴えました。

3. 1931年5月30日:ヤンキースがフェンウェイをホームに

一日だけですが、ニューヨーク・ヤンキースがフェンウェイ・パークをホームグラウンドとして使ったことがあります。しかし、そのヤンキースは野球チームではなく、サッカーチームでした。8,000人の観客の前で、アメリカン・サッカー・リーグのヤンキースがスコットランドの強豪グラスゴー・セルティックFCを4-3で破りました。その日、ヤンキースのゴールキーパーを務めたジョニー・レダーは、翌年にはレッドソックスの一塁手としてフェンウェイに戻ってきました。

4. 1933年10月8日:レッドスキンズの試合

ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の試合がフェンウェイ・パークで初めて開催され、ボストン・レッドスキンズ(現ワシントン・コマンダーズ)がニューヨーク・ジャイアンツを21-20で下しました。1936年シーズン後、チームオーナーのジョージ・プレストン・マーシャルがボストンからチームをワシントンD.C.に移転しました。

5. 1942年11月28日:幸運の災難

無敗でトップランクのボストン・カレッジは、ホーリークロスとの試合で55-12の大敗を喫しました。この敗北は、選手たちが予定していたボストンのクラブ「ココナッツ・グローブ」での祝勝会をキャンセルさせました。その夜、ココナッツ・グローブは火災で壊滅し、492人が死亡する悲劇が起こりました。

6. 1944年11月4日:FDRの最後の選挙演説

第4期目の大統領選挙を前に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領がフェンウェイ・パークで最後の選挙演説を行いました。40,000人の聴衆の前で、戦争記録とニューディール政策を擁護する演説を行いました。フランク・シナトラが国歌を歌い、オーソン・ウェルズが群衆を盛り上げました。

7. 1954年7月29日:屋外バスケットボール

ハーレム・グローブトロッターズがフェンウェイ・パークでバスケットボールの試合を行いました。即席のコートで行われた試合には、13,344人が詰めかけました。グローブトロッターズはその試合に勝利し、1955年と1963年にも再びフェンウェイで試合を行いました。

8. 1969年6月28日:フェンウェイ・レスリング

プロレスの興行がフェンウェイ・パークで開催され、17,000人の観客が集まりました。ブルーノ・サンマルチノとキラー・コワルスキーの試合がメインイベントとして行われました。試合は無制限ルールで行われ、コワルスキーは観客のビールを浴びながらも奇跡的に回復しましたが、最終的にはサンマルチノが勝利し、チャンピオンベルトを守りました。

引用元:8 Surprising Fenway Park Events – https://www.history.com/news/8-surprising-fenway-park-events