日本人が知らないハットフィールド家とマッコイ家の7つの秘密

19世紀に起こったハットフィールド家とマッコイ家の伝説的な争いに関する7つの事実をチェックしてみましょう。

ハリウッドは常にハットフィールド家とマッコイ家が好きだった

ハットフィールド家とマッコイ家の物語は、さまざまなエンターテイメントの形で描かれてきました。1952年のアボットとコステロの映画、アニメシリーズ「スクービー・ドゥー」のエピソード、ワーナー・ブラザーズの1950年の「メリーメロディーズ」カートゥーン「ヒルビリー・ヘア」などがその代表例です。

ハットフィールド家とマッコイ家は有名なゲームショーにインスピレーションを与えた

この争いは、1976年に初めて放送された人気ゲームショー「ファミリー・フュード」の主要なインスピレーションとなったと考えられています。1979年には、両家のメンバーが番組に出演し、賞金をかけて対決しました。賞品には、争いの原因となった豚も含まれていました。ハットフィールド家がこの対決で勝利しました。

1940年代にハットフィールド家とマッコイ家はライフ誌に取り上げられた

1944年5月、ライフ誌の記事は、暴力がケンタッキーとウェストバージニアのタッグ・バレー地域を揺るがしてから50年近く経ったハットフィールド家とマッコイ家の現状を再訪しました。記事は「有名な家族が今は平和に暮らしている」ことを示すもので、数名の子孫たちへのインタビューが掲載されました。

ハットフィールド家とマッコイ家の争いは米国最高裁判所にまで達した

1888年、ハットフィールド家の数人がランドル・マッコイの子供2人を殺害した罪で逮捕されました。ウェストバージニア州は彼らの釈放を求めて訴訟を起こし、事件は最終的に米国最高裁判所に持ち込まれました。裁判の結果、全員が有罪となり、7人が終身刑を宣告され、1人は処刑されました。

稀な病気が争いの一因だった可能性がある

2007年の研究で、マッコイ家の子孫の間でフォン・ヒッペル・リンダウ病という稀な遺伝病の発症率が非常に高いことが判明しました。この病気は高血圧や心拍数の増加、「戦うか逃げるか」のストレスホルモンの増加を引き起こすことが知られています。

タッグ・バレー地域ではハットフィールド家とマッコイ家の争いから30年後にも暴力事件が発生した

1920年5月19日、反労働組合のバルドウィン・フェルツ社の探偵たちが、ストーン・マウンテン・コール・カンパニー鉱山の労働者たちを立ち退かせた際、警察署長でハットフィールド家の子孫であるシド・ハットフィールドが鉱山労働者を擁護し、激しい衝突が発生しました。

ハットフィールド家とマッコイ家の子孫は数千人いるが、すべてが実在するわけではない

シド・ハットフィールドは多くの著名なハットフィールド家とマッコイ家の子孫の一人に過ぎません。他にも、家族の家長デビル・アンスの甥であるヘンリー・D・ハットフィールド、ジャズミュージシャンのクライド・マッコイ、バスケットボールコーチのマイク・ダントーニなどがいます。さらには、テレビや映画シリーズ「スター・トレック」のレナード“ボーンズ”マッコイのような架空の子孫もいます。

引用元:7 Things You Didn’t Know About the Hatfields and McCoys – https://www.history.com/news/7-things-you-didnt-know-about-the-hatfields-and-mccoys