タイタニック救助船の知られざる5つの事実

タイタニック号の生存者を唯一救出した船、RMSカーパシアに関する驚きの事実をご紹介します。

カーパシアのキャプテン、アーサー・ロストロンがタイタニックの生存者モリー・ブラウンからトロフィーを受け取る

1. タイタニックの惨事がカーパシアのキャプテンを名誉あるキャリアに導いた

カーパシアのキャプテン、アーサー・ヘンリー・ロストロンは、タイタニックの生存者を救出するという伝説的な功績により、一躍有名となりました。ロストロンは、1869年にイングランド北西部のボルトンで生まれ、17歳で海に出て以来、一生を海で過ごしました。彼はさまざまな船で経験を積み、1895年にカナード・ラインに加入し、RMSアンブリアの4等航海士として勤務しました。その後、カナードの複数の船で働き、船長に昇進しました。カーパシアの船長としての功績により、ロストロンは米国上院の証言を行い、ウィリアム・タフト大統領から議会金メダルを受け取りました。その後、ロストロンはマウリタニアやルシタニアなどのカナードの有名な船の指揮を執り、1928年にはカナード艦隊の司令官に任命されました。

2. カナード・ラインの歴史上最も名声のある船長は海蛇を信じていた

ロストロン船長は、未確認生物の研究に興味を持っていました。1907年にキャンパニア号のチーフオフィサーとして勤務していたとき、ロストロンは海蛇を目撃したと主張しました。彼はこの出来事を詳細に記録し、「Home from the Sea」という回想録に書きました。彼はアイリッシュ海岸を航行中に、海面に浮かぶ奇妙な物体を目撃し、それが海の怪物であると認識しました。この目撃談は彼のキャリアに悪影響を与えることはなく、今日の航空機パイロットがUFOを報告するのと同じように、ロストロンはその主張を撤回することはありませんでした。

3. カーパシアの救助準備は多忙を極めた

ロストロン船長がタイタニックからの救難信号を受信した瞬間から、彼のすべての命令は生存者を救うために迅速に行動することを目的としていました。カーパシアの最高速度は約14.5ノットでしたが、ロストロンは追加の火夫を配置して蒸気を増やし、速度を17ノット以上に上げました。彼は船の暖房システムを減らし、エンジンに蒸気を回すよう指示しました。この追加速度は危険を伴い、カーパシアは氷山を避けながら58マイルの航路を進みました。ロストロンはすべての将校に具体的な指示を出し、生存者を受け入れるために船を準備しました。救助後、生存者はロストロンの努力を称賛し、彼の乗組員に感謝の意を表しました。

4. タイタニックは最初にSOS信号を送った船ではなかった

1912年当時、多くの船が無線設備を備えていましたが、それは主に乗客が地上と通信するためのものでした。タイタニックの遭難信号はCQDメッセージで始まり、その後SOS信号に切り替わりました。CQDは「全ステーションへの一般呼び出し」と「緊急事態」の組み合わせを表していましたが、SOS信号は「Save Our Ship(我々の船を救え)」の略ではなく、単に送受信が容易な三つの点、三つのダッシュ、三つの点を意味していました。

5. カーパシアは氷山を回避することができましたが、ドイツの魚雷を避けることはできなかった

第一次世界大戦中、カーパシアは兵員輸送船として英国政府に徴用されました。1918年7月17日、カーパシアはボストンへ向かう船団の一部として航行中に、ファストネット西方120マイルでドイツの潜水艦の攻撃を受けました。乗員乗客は全員脱出し、3つの魚雷の直撃でカーパシアは沈没しました。その残骸は82年間、無傷のままでしたが、2000年に著者クライブ・カッスラー率いるチームによって発見されました。カーパシアは国のために尽くした94年前のその場所に、ほぼ無傷の状態で沈んでいます。

引用元:5 Things You May Not Know About Titanic’s Rescue Ship – https://www.history.com/news/5-things-you-may-not-know-about-titanics-rescue-ship